気まぐれ日記 04年1月

03年12月はここ

1月1日(木)「とっても人には言えない元旦・・・の風さん」
 カウントダウンと同時にワイフとスパークリングワイン(クリスマスが過ぎたら処分価格になったやつ)を開けた。
 どうせ後は寝るだけとタカをくくった私は、一人でピッチを上げた。
 その間に、ワイフは、私がクリスマスプレゼントで上げた楳図かずおの漫画を読みふけりだした。それでは、こっちも負けてなるものかと、松岡弘一さんあらため竹花咲太郎の『首刈り無宿』を読み出した。それぞれ読み終わる頃には、ワインも空っぽになっていたが、アルコールに弱い私はもう足腰が立たなかった。
 それでも、今朝は早起きし、最も近い大規模小売店の初売りにミッシェルで出動した。目的は、300円で空クジなしの高崎だるまを購入することである。これは毎年恒例になっていて、片目を入れておき、出版できたときに残りの目を入れるのである。今年は2等が当たり、やや大きなだるまが手に入った。きっと大作が出版できるに違いない。頑張るぞ〜!
 ところが、まっすぐ帰宅してから、俄然体調がおかしくなった。二日酔いはない。睡眠不足は当然だ。なぜか足腰が痛い。花粉症も出てきた。肩が凝っている。鎮痛剤と花粉症の薬を飲んだら、目が回ってぶっ倒れた。
 夕方いちど起き出して、家族と近所の神社に初詣したが、帰ってきてまたダウンした。
 結局、今日は、もらった年賀状をチェックして、住所録を更新したり、出さなかった年賀状を印刷したのが精一杯だった。こんな状態では大作をものにすることは不可能である。
 自分自身に腹を立てて12時に就寝した。

1月2日(金)「後遺症がまだ残っているの巻」
 7時に目覚めたが、全身が痛い。鎮痛剤を飲んでまた寝た。結局、起きたのは11時過ぎ。ブランチ後、また鎮痛剤を飲んで(まるで鈴木輝一郎さんみたいだ)、何とか書斎で仕事を始めた。一つのことを集中してやるのは無理そうだったので、次々に仕事を変えながら、こなしていったら、何とか夕方には調子が出てきた。

1月3日(土)「病のサイクルがぐるぐる・・・の風さん」
 今日も不調である。午前中は読書をして、昼前に近くのコンビニまで歩いて往復してみたが、どうもよくない。両肩が張っていて痛い。両腿も痛い。こうなると、苦痛に耐えているだけで大変な体力の消耗である。それでも、やらねばならないことは多い。気を紛らわすために、さらに手を広げた。日が暮れると同時にガソリンスタンドまで行き、給油ついでにミッシェルを洗車した。年末にワックスをかけた効果が残っていてピッカピッカになった。夕食後、新鷹会の仕事にも手をつけた。どれもこれも中途半端だが、全く未着手でこの年末年始休暇を終えるわけにはいかない。
 書斎の机の前の壁には、ハセキョーのカレンダーが掛けてある。ただし、表紙のままだ。なぜかと言うと、最初の1・2月の写真がひどい。1994年と古いのは表紙と一緒だが、さらに気に入らないのは、タイトルが「headache(頭痛)」で、眉をしかめたハセキョーがソファにもたれてこっちをにらんでいる。こんなカレンダー、ありか?

1月4日(日)「読書の話・・・の風さん」
 体調不良ながらも時間はあるので、できるだけ読書するようにしている。休みに入ってどれだけ読んだか忘れたが、寄贈本を優先している。楠木誠一郎著『うつけ者は名探偵』、竹花咲太郎著『首刈り無宿』、倉持れい子著『迷い道』は読み終えた。並行して読んでいるものに、楳図かずおの漫画「こわい本シリーズ」(朝日ソノラマ)がある。既に9巻まで出ていて、そこまでの手配は完了している。14巻まで刊行されるらしい。自分が読みたい気持ちもあるが、ワイフへのクリスマスプレゼントにしているので、これらはやがて全部読んでしまうだろう。
 楳図かずおの漫画では色々と勉強させられる。テーマ(主に女性心理に関するもの)がしっかりしていて、文学的なこと。絵は特徴的で、顔、特に眼が際立っている。問題は、それ以外で、表現したいたとえば顔以外のものは徹底的にデフォルメされている、と言うか、かなりフリーハンドである。このメリハリは、私のように細部までこだわり過ぎるタイプは学ばなければならない。それから、セリフのないコマがきわめて適切に配置されていることだ。この無言のコマもそれなりに主張するものがある。小説ではこういった何気ない描写を手を抜くと、無駄なコマとなってしまう。良い作品は何年たっても良い作品という見本の一つだろう。

1月5日(月)「連休最終日は「大衆文芸」編集者の巻」
 今日まで会社は休み。1日もうけた気分だったので、実は昨日のうちに仕事をほぼ終えて、最終日はのんびり過ごす作戦だった。・・・が、世の中、そんなに甘くなかった。先ず、昨日で仕事をほぼ終えることはできなかった。
 「大衆文芸」の編集の手伝いを急遽することになったからだ。
 実は、昨日から「大衆文芸」寄稿の年間計画を作成していて、それを含めて2月号用の随筆の原稿を4人の方にメールで依頼した。締め切りは今月の15日である。電子ファイルの提出も同時にお願いしたが、これは今までにない依頼の仕方で、今後の編集作業の改革の方向を示すものである。当然といえば、あまりにも当然なのだが、原稿が電子ファイル化されれば、ゲラの作成が早くて正確になる。それによって校正も楽になるのである。今まで、たったそんなことさえ、常識化されていなかったのだ。

1月6日(火)「シルバーの異様な鳴き声・・・の風さん」
 朝5時にシルバーの間断ない鳴き声で目覚めてしまった。くぐもった異様な声でもあった。ベッドから起き出して、2階の廊下へ出てみると、白い靴下をくわえたまま鳴いている。口からはずそうとしても固く噛み締めていてはずさない。目が爛々と輝いていて妖しい色だ。近くを見ると、シルバーの夜の安眠の場(座椅子)がチーズ・カマ・ペコに占領されている。シルバーが大きな声で鳴き続けているのに、起きようともしない。
 これが原因だったのだ。
 そもそもシルバーは我が家に飼われて10年近い。先住民(オス猫)である。一方のチーズ・カマ・ペコは、つい2ヶ月ほど前からうちに居座っているメス猫だ。嫉妬深い猫のことなので、当然心配はしていた。しかし、さまざまのプロセスを経て、同居を始めたときは、オスとメスだし、何とか仲良くなれるのではないか、という期待もあった。しかし、その期待は甘かった。チーズ・カマ・ペコはシルバーにじゃれるが、シルバーはうるさそうにチーズ・カマ・ペコを追い払う。今でも、そんな状態だ。
 しかし、優しいシルバーは、チーズ・カマ・ペコを座椅子から力づくで追い出すことができない。かと言って、これまでの自分だけの安眠の場を奪われるのは耐えられないことだったのだ。
 その憤懣とストレスと悲しみの入り混じった感情が、白い靴下に向けられたのだ。
 私は最初、シルバーの頭をなでたり、喉をさすったりしていたのだが、どうしても靴下を離そうとしないので、チーズ・カマ・ペコを階下のソファへ移動させることにした。眠っているチーズ・カマ・ペコを抱き上げて、階下へ連れて行ったのだが、またすぐ2階へ戻ってしまった。座椅子の上である。
 それで、私は、再びシルバーをなでたりさすったりし続け、落ち着くのを待って、ようやく靴下を取り上げることに成功した。不憫なシルバーである。
 ベッドに戻ったのだが、何となく落ち着かなくて、再び眠りにつくことができなかった。
 しかし、その後は、シルバーの鳴き声は聞こえてこなかったので、ある程度、落ち着いたのかもしれない。

1月11日(日)「烏賊(いか)揚げの巻」
 勤務が始まってから目の回る忙しさとなった。
 1月は上京含めてスケジュールが多く、当然、提出原稿もかかえており、毎日必死である。
 執筆が予定より遅れていたが、今日は、昼から、職場自作の凧揚げのために、製作所へ出かけた。
 職場で作った凧は畳2枚ぐらいの大きさで、本格的なものである。丈夫な和紙にカラープロッターで印刷してあるので、絵も美しい。これは恐らくみんなの協力で見事に揚がるだろうと思い、私は私で、書斎に飾ってある凧を持参した。一度挙げてみたかったのだ。
 これは徳島県出身のワイフが徳島でもらってきたもので、徳島で作られた和凧である。形は、関西風のひし形で、烏賊(いか)とも呼ぶ。尻尾はない。
 昨日同様、空は鮮やかに晴れ渡った・・・が、風が強く、冷たかった。製作所の駐車場に着いたが、ドアを開ける気にならないほどの突風が吹いている。
 それでも、決断して、会場となるグラウンドまで歩いた。その間に凍死しなかったのは奇跡であろう。
 職場の凧はチームワークの勝利で、最後は高々と揚がり、見事入賞を果たした(大凧は10近く揚がっていた)。
 私の烏賊は、小学生らと一緒に揚げようと現地で組み立てたのだが、反りをつける糸と部品がなくて、途中で断念した。が、テントの外へ出て見ると、子供の凧はほとんど揚がっていなかった。風が強すぎるのだ。組立が完成しても私の烏賊は飛ばなかったろう。
 開会式から表彰式まで1時間半ほど寒風にさらされ、車へ戻ってふとバックミラーを見たら、おじいさんの顔になっていた。水気が抜け、寒さでちぢかんでしまったため、小ジワがたーくさん出来ていたのである。情ねえー!
 室内中心で毎日温泉に入っている老人と、外で働き続けている老人では、きっと老化は激しく差があるに違いない。サラリーマンは一般に室内仕事が多いが、やはり室内仕事中心の小説家になるべきだ(?)。

1月12日(月)「日本数学協会向けの原稿(第1稿)を送信・・・の風さん」
 今日取り組んだ仕事だけを書いておく。
 昨夜梱包した著書をコンビニから宅配便で送った。横浜で知己を得たある会社の経営者へ贈呈したのだ。経営者の中には読書家が多い。私のように会社勤務をしながら(時代考証などに)手間のかかる作品を書いている作家には、非常に興味を示してくださる方も多い。明らかに読書家で且つ私に興味を示してくださる経営者の方には、後から拙作を贈呈することにしている。もちろんPRが狙いではあるが、私は経営の視点と小説作法の間には、強い因果関係があると思っている。作品にもよるが、経営者が小説をよく読む原因がそこにあると思っている。また、事業で成功した方には若い頃からのロマンがあり、ロマンのある作品には共感することが多いのではないか。
 夜、日本数学協会向けの原稿と図版を、電子メール送信した。かなりの分量であり、きれいな構成と読みやすい内容にするために、まだもう少し編集の人と相談する必要がある。

1月13日(火)「意外な展開で短編が完成・・・の風さん」
 昨年末から新鷹会の「大衆文芸」2月号用の短編を書いていたのが、なかなか完成しなかった。今回の方針は、「一切時代考証をしないこと」だった。役者が舞台衣装も着ず化粧もせずに演技するようなものかもしれない。歴史小説を書いているので、いわば舞台衣装や化粧もプロになっているわけで、これだけでも見応えのありそうな演技ができそうである。しかし、基本は演技そのもののはずで、時代考証を全くしない小説を書くことは、基本の練習にもなる。そう思って挑戦した。(商業誌への売り原稿でないからこそできる、とも言えよう)
 それがなかなかできなかった。短編なので、起承転結の4章に分けて書き進んだのだが、最後の「結」つまりオチがイマイチで、良いアイデアが浮かばないのである。
 午前零時過ぎて、普段なら、翌日の勤務もあるので、そろそろ寝なければならない時刻だった。しかし、ここで中断したら、15日の勉強会に持参して行くのが困難になりそうで、正直焦っていた。それで、無理して書き進んでいったら、当初予想もしていなかった展開になり、オチは弱かったけれども、最後に少しさわやかな印象の残る終わり方ができた。うれしくって、相変わらず宵っ張りのワイフのところへ持って行き、無理やり読んでもらった。その間に私は入浴し、さっぱりして出てきてから聞いてみると、「いいんじゃない」のひと言。
 けっこう批評が手厳しいワイフのひと言で、手応えを感じた。

1月14日(水)「「大衆文芸」の改善にちょっぴり着手・・・の風さん」
 新鷹会の「大衆文芸」には、改善すべき項目がたくさんある。加えて、超多忙な伊東昌輝編集長が、4月からまたさらに多忙になることが決まっており、私への編集長業務移管を申し出ておられる。
 この課題は一筋縄ではいかないので、私は少しずつ手をつけることにしている。
 その一環で、「大衆文芸」用随筆・エッセイ寄稿年間計画なるものを考案した。最終的な目的は、「大衆文芸」の内容特に掲載小説の質を上げて、文学界・出版界から注目されるようになることである。そのために、書き手と編集者のやるべきことを効率化しようということで、「計画的寄稿」と「電子データ化」をはかるものである。
 以前から準備をしていたことではあるが、明日の勉強会の出席者にきちんと説明できるように、「執筆のお願い」と「寄稿者年間計画」を仕上げ、必要枚数だけプリントアウトした。

1月15日(木)「のぞみ車中でアシュレイに打ち込む風さんの巻」
 冬期休暇は終わったが、勤務先の元上司が重い病気で入院していて、まだ出社できない。先週末にお見舞いにうかがったところ、本人は病状が悪いのでやや悲観的になっていてお見舞いを断っていた。しかし、我々は退院を待っていればよいのではなく、つながりの強くて濃い人は、ぜひ早急にお見舞いに行くべきだと直感し、その旨、勤務先のトップへも力説し配慮をお願いしていた。それが功を奏して、今週は限られた人だけが少しずつお見舞いに出かけ、本人も大変力づけられ喜んでいることが分かった(今日、午前は、社長がお忍びでお見舞いにうかがっている)。
 毎月15日は新鷹会の勉強会のために上京するのだが、行きの新幹線で、アシュレイを使って、元上司への手紙を作成した。結局、1時間ほどかけて、A4で3枚もの長い手紙になってしまった。
 勉強会では、用意して行った「大衆文芸」の随筆・エッセイ寄稿者年間計画を説明し、承認された。また、やっとできた短編を編集長の伊東先生へ手渡した(合格すれば2月号に掲載される)。また、毎年1月の勉強会では、終わった後、同じ場所で新年会となる。今年の新鷹会の躍進を誓って盛り上がった。
 少し飲み過ぎたので、帰りの新幹線ではひたすら居眠りしていた。
 帰宅し、今朝の新幹線の車中で書いた手紙を印刷し、封筒の中におさめた。

1月16日(金)「元上司からのありがとうメール・・・の風さん」
 年が明けて2週間が終わろうとしているが、実に密度が濃く、そして時間の経過が早い。
 夕方、勤務が終わってから、元上司が入院している病院へ向かった。途中で花束を買い、その中へ用意した手紙を入れた。既に宵闇に包まれていて、病室では夕食の頃合いである。花束と手紙をナースステーションに預け、病室は見舞わなかった。
 それから市内の居酒屋へ向かい、職場の新年会に出席した。会社の飲み会では飲まないのが通例だが、初めての職場なので、今夜は飲んだ。40人以上が集まり、元気の出る飲み会だった。きっと今年は、会社の仕事も充実するに違いない。
 ミッシェルを置いて、電車で帰宅しようとすると、入院中の元上司からケータイへメールが入った。「ありがとう」メールだった。かなり長文で、先週までメールを打つ気力も低下していたのが、かなり気持ちが前向きになっていることがうかがわれ、その精神力に敬服すると同時にとてもうれしかった。
 帰宅してから、15日に承認された「大衆文芸」寄稿者年間計画について、他の会員へ知らせるための郵送の用意をした。すべて終了して就寝したのは、午前3時近かった。

1月17日(土)「美女と野獣の巻」
 不思議と最近気力・体力共に充実している。
 目覚めてカーテンを開けたら、雪がぼたぼた降っていた。しかも屋根にはしっかり積もっている。
 今日もやることは死ぬほどあるが、降雪なんかに負けてはいられない。
 幸いダイヤは混乱してなかったので、電車でミッシェルを取りに行き、昨夜用意した郵便物も出した。
 夜、さらに残りの会員分の郵便物も用意し、階下へ降りていったら、珍しくテレビが空いていたので、正月休み中に観たかったディズニー・ビデオ「美女と野獣」(吹き替え版)をセットした。家族は何度も観たビデオだが、いつも書斎で焦りまくっていた私は、観るのが初めてである。宮崎駿のアニメのように緻密で完成度が高い映像ではないが、ストーリー的には、ディズニーの作品らしい、基本的な格調の高さと感動がある。美男でカッコいいけど、愛せない男と、醜いけれども心ひかれる男を対比的に描いて、女主人公が惑わされることなく、野獣を愛するようになり、最後は魔法をかけられていた野獣の魔法も解けてハッピーエンド、と。ついつい懲り過ぎて、本質から外れた作品を書きがちな私にとっては、そういう意味で反省の機会になるし、先日の時代考証抜きの作品と同様に、勉強になる。

1月18日(日)「文豪がよみがえる・・・の風さん」
 ホームページを開設したのが1999年9月ということでも推定できるように、私が執筆にパソコンを使い始めたのもその頃である。それ以前は、もっぱらワープロ(文豪)だったので、過去のほとんどの作品がワープロのファイルでフロッピーに保管してある。
 今年、執筆は、何とか快調な滑り出しをしたので、この勢いを維持したい。そうなると、これまでたまっている原稿をひとまとめにしてテーマ別に分類したり、短編や未完成な原稿をベースにして長編に仕立てるなど、工夫すれば出版のチャンスがあるかもしれない。
 それで、これまでのワープロ原稿をチェックしようと、眠っているワープロマシンを1台復活させた。当然、電池が消耗しているので、新品を装填して再起動するか確認し、さらに、2DDから2HDへ移したり、リッチテキストコンバーターを使って、ワープロをワードに変換できそうか、ちょっと調べてみた。
 結論。
 できそうである。
 この確認は、私を大いに勇気付けたので、今夜は安心して読書をして寝ることにした。

1月22日(木)「ミッシェル、70000km、ごくろうさんの巻」
 強力な寒波が襲ってきている。
 ミッシェルが汚れているので、帰りに自動洗車でもしてきたいなあ、と思いながら自宅を出発した。
 風も強い。
 私は愛知県知多半島に住んでいる。知多半島の東西は、それぞれ三河湾、伊勢湾に臨んでいる。私の家は、伊勢湾寄りだ。年明けから勤務地が変わり、伊勢湾寄りを北上するのが新しい通勤路である。
 最も海寄りの道で信号待ちで停車した。強い風が吹き付ける海を眺めてみると、海面をたくさんの白いうさぎが走っているようである。・・・と、波しぶきがミッシェルのフロントガラスにかかった。
 帰宅は10時近くなった。今朝以上に冷え込んでいる。
 ミッシェルの積算距離計を見ると、70000kmを超えたところである。購入してから1年と5ヶ月ほどで、30000km走破したことになる。
 時刻も遅く、洗車をする気は失せている。フロントガラスが汚れていたので、ウォッシャー液をフロントガラスに吹きかけてみると、シャーベット状に凍っていく。どんどん吹きかけて、ワイパーで執拗にこすりとったが、後から後から凍っていく。家にたどり着くまでに凍死するかもしれない、と思った。
 ・・・が、無事帰宅した。
 晩御飯を食べながら、新聞を読んでいたら、ミッシェルの新型が来月発売されると書いてあった。ターボ付きで、350台の限定販売である。触手が動いたが、買うわけにはいかない。私は、中古車派である。

1月23日(金)「ドーナツ20個・・・の風さん」
 今朝も厳しい冷え込みだった。そして、強風。波しぶきを浴びたのも昨日とそっくり。
 ・・・帰る頃までに、寒波は去った。
 ドーナツショップではときどき景品がつく。今回の景品が気に入ったので、もらおうと思っていたら、次女に奪われた。そもそも誰のお金で買ったと思っているのか、とおとなげない言葉が口をついて出てくるが、仕方がない。私は正直だ(意味が違う〜!)。
 景品を手に入れようと、通勤路を大きく外れて迂回した。ドーナツショップへ直行。20個も購入し、引き換え券をゲット。ルンルン、ランラン帰宅。
 「大衆文芸」2月号用に書いた短編のゲラが届いていた。早速読んでみると、電子ファイルで印刷所へ送ったので、間違いが少なかった。先手先手と仕事をすることが、良い結果につながっている。うれしくなって、夕食後、ドーナツを2個も食べてしまった。

1月24日(土)「運動不足で低血圧(?)・・・の風さん」
 一転して小春日和である・・・が、まだまだ気温は低い。それでも、風がなく空が晴れ渡っているだけで気分が良い。今日も執筆が進むぞ、と勢い込んで書斎へ入ったが、背中がぴんと伸びない。猫背の爺さんになってしまう。そういえば、昨日からそういった兆候があった。腹筋や背筋力が落ちているのだ。
 夕方、1ヶ月ぶりにトレーニングに出かけた。前回も1ヶ月ぶりだったから、ここ2ヶ月で2回しか行ってないことになる。で、結果も前回とほとんど同じ数値だった。肥満度がプラスの0.4%で、体脂肪率が20.5%。それよりも異常を感じたのは、ストレッチをしている間に気が遠くなって意識が薄れたことと、最後に血圧を測ったら「再測定」になったこと。もう一度計ってみると、異常に低いのだ。で、もう一度スイッチを入れてみたら、また「再測定」である。4回目のトライの結果も低かったが、その数値を今日の結果に採用した。102−62である。
 水曜日に某出版社の編集者と会うので、企画を考えねばならない。先手先手と打っていくのが今年の目標だ。

1月25日(日)「久々の「日展」鑑賞・・・の風さん」
 珍しくワイフから誘いがあって、名古屋芸術文化センターに第35回「日展」を見に出かけた。以前はよく行ったが、恐らく10年以上の間隔があいている。
 夕べは深夜になって急に「ゆりかごを揺らす手」という中古ビデオを観てしまったので、今朝は寝坊している。それで、ミッシェルで有料道路や高速道路を徹底的に利用して往復した。多少交通費はかかるが、これが一番ロスのない移動ができる。
 今日も天気は非常に好かったが、気温は低かった。
 私の場合、基本的に絵画の鑑賞は時間がかかる。パッと観た印象に続いて、小説のように作者の意図を考えてしまう。それがまるで分からない作品の場合は、色とか構図、デザインといった点だけを楽しんで終わりである。意図が読めるときは、タイトルや作者の名前を見て、さらに印象を深める。
 そうやって様々の作品を楽しみながら観て回っていたら、ちょうど作者が自らの作品を語っている場面に遭遇した。鶏頭の絵だった。毎年鶏頭の絵を描いているらしく、今年の鶏頭は育ちが悪かったけれども、癒やし系のオレンジ色を使ったこと、鶏頭にあふれた花畑の間に小道を配して、その先に明るい未来を予感するように描いたこと、そして、小道を歩きながら鶏頭とコミュニケーションして欲しいことなどを上手に説明していて、なるほどと思った。どの作品も大作だし労作だ。わずかな時間で通り過ぎてしまうことが多いが、どの作品にも作者の熱い想いが込められていることをあらためて知った。
 久しぶりの「日展」だったので、作品を題材にした葉書や写真を購入した。
 帰宅して、家の中の額縁のいくつかを、今日観てきた絵の葉書で更新した。

1月27日(火)「通勤路の怪事件・・・の風さん」
 毎朝、田舎道を通勤路としている。ミッシェルで走る田園の中のワインディング・ロードは楽しい。
 起伏のある丘陵地で田んぼも多いが、農道も縦横に走っている。
 今朝、その農道に入ろうとしているトラックと、その農道から出てこようとしているベンツが鉢合わせして、立ち往生していた。結局、トラックがバックして道を譲り、その隙間からベンツが潜り抜けてきたのだが、本道に出きる寸前で後輪が縁石に乗り上げてやんの。愚か者め。どちらも無理してショートカットするから、かえって遅くなるのだ。
 しばらく走ったら、向うから大型ダンプがやってきた。何気なく運転席を見ると、な、なんとダッシュボードに日本猫が優雅な姿勢で座っていた。かなりのスピードでダンプは走っていたのだが、猫はバランスをくずすこともなく、こちらを見下ろしていた。助手席にも人が乗っていたから、その人の飼い猫なのかもしれないが、もしドライバーの飼い猫で、いつも乗せて仕事をしているとすれば、こりゃ、驚きだ。

1月28日(水)「ビンゴの雪辱は?・・・の風さん」
 2年ぶり(?)で推理作家協会の新年会に出席した。
 最大の目的はビンゴのリベンジ。先回は、真っ先にリーチがかかったのだが、結局、ビンゴにはならなかった。
 受付に行くと、既に名札が用意されていた。会場はもう満員に近く、出版界の低迷とは裏腹に協会の元気ぶりが伝わってくる。案外狭い業界なのかもしれない。それでも、無名作家の私にとっては、知人の少ないパーティなので、ちょっと気が引ける。乾杯・・・でなく、おめでとう、の音頭でパーティが始まった。私は知人を探しつつ、さっそく料理に手を出しながら、会場を泳いで歩いた。しっかり元をとろうという下品な連中はあまりいないので、料理をとりながら、これも少し気が引けた。知人は確かに少ないが、有名作家はわんさといる。目立っていたのは、やはり直木賞受賞したばかりの京極夏彦氏と、陽気な北方謙三氏か。京極氏は、やはり和服で、両手に指の出た黒い皮手袋をはめていた。こんな目立つ服装じゃ、妖しいところへ出没するのは困難だろう。お気の毒。
 いちおう知人作家ともめぐり合った。鈴木輝一郎さん、中里融司さん、菅谷充さん(実際にお目にかかったのは初めてで、昨年の受賞のお祝いの言葉を伝えることができた)、今野敏さん、辻真先先生。
 問題のビンゴの結果は・・・惨敗。25個の穴のうち15個が開いたのに、5連結はどこにも形成されなかった。
 これで、当初のスケジュールは終了、ということで、某出版社の編集者と離脱し、地下のレストランで半分打ち合わせ、半分食事会をした。誘ったのは私なので、払いは作家もち。この出版社と仕事が成立するか、前途が厳しいことが判明した。
 その後、新宿へ出、仲間と合流し放談した。
 銀座の常宿に戻ったのは午前1時近く、けっこう疲れた。

1月29日(木)「新人物往来社の家庭的な夕食会の巻」
 新人物往来社の創業50年を記念する「謝恩の会」に招待されたので、出席した。会場は赤坂の中華料理店である。出版社の社長夫婦をはじめとする社員と招待客らで、総勢50人近い盛大な食事会だった。
 昨夜の推理作家協会のパーティと違い、顔ぶれも知った人が多い。人との長い付き合いを大切にする社風なのだろう。家庭的な雰囲気もあって、私はとても居心地よさを感じた。
 指定されたテーブルに案内されたら、隣が植松三十里(みどり)さんだった。第27回歴史文学賞受賞者である。今年の第28回が既に有名な岩井三四二(みよじ)氏ということで、歴代の受賞者が相当数招待されていた。また、歴史家や文芸評論家といった、新人物往来社らしい人脈がそこかしこに顔を並べている。とりあえず同じテーブルについた安宅夏夫氏、松原誠氏、永岡慶之助氏らと名刺交換した。
 隣のテーブルには早乙女貢先生を始め、市原麻理子さん、渡辺房男さんがいた。その向うには伊藤桂一先生のお顔が見えたし、社長夫妻が並ぶテーブルには、森村誠一先生と宮部みゆきさんがいた。さらにこちらと正反対の位置のテーブルに、鈴木輝一郎さんがいた。他に津本陽先生。清原康正さんもいたし、ととり礼治さんもいた。小中陽太郎さんも初めて間近で拝顔した。
 料理も半ばを過ぎたので、私もふらふらと立って、宮部みゆきさんに近付いていった。10年くらい前にお目にかかっているが、それ以来なので、当然私のことは忘れているだろうと、席に置いてあった大きな名札を持参した。そして、まんまと話しかけることに成功したと思ったら、鈴木輝一郎さんが飄然(ひょうぜん)と現われた。それからは輝一郎さんのペースでくだけた話題になり、私もリラックスして会話に加わることができた。おかげで、新人物往来社の安田さんに頼んで、3人で写真を撮ってもらった。私のケータイつまりエリクソンで、である。



 楽しい夕食会だったが、今夜中に帰らねばならない私は、ひと足先にタクシーで東京駅へ向かった。
 新幹線の車中でも、ケータイに保存した記念の写真があって、とても愉快だった。

1月31日(土)「年頭の誓いは守れるか・・・の風さん」
 日本文藝家協会の会報が届いた。順番で回ってきた会員通信に原稿を書いて送ったのだが、メール添付で新年早々送ったせいか、一番最初に掲載されていた。タイトルは「新年のご利益はあるか」である。リラックスして書いたつもりだったが、まだまだ肩に力が入っている。気まぐれ日記を書いているのも、肩から力を抜く練習になるからである。しかし、まだまだ硬い。かちんこちんだ(笑)。
 ケータイに保存した写真を初めてプリントしてみた。エリクソンでの最高画質で撮影したものでも、やはりプリントには耐えられない。次回ケータイ更新時には、2メガピクセル以上のものにしよう。
 昨夜は会社からの帰宅が11時近くなり、相当疲労がたまっていたらしい。今朝の起床時間は10時だったし、夕食の時にビールを飲んだら、わずか缶ビール1本でもうダウンした。今年はたくさん仕事するぞーが年頭の決意だったので、体力増強にも努めねば。

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